本線用車両(案)
<<!注!関西電鉄は現実世界には実在しません>>

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(旧)關西電気鐵道車両


  • 100型
  • 100型
    (旧)關西電気鐵道開業用。ドイツ流儀。
    戦後、新生「関西電鉄」のマークをつけた姿です。
    100型(登場時)
    (旧)關西電気鐵道時代の姿です。
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    〜解説〜
    100型電車は、關西電気鐵道(今の本線北部)開業用に作られた、松下車両(これは架空)の記念すべき「製造第1号」形式です。

    關西電気鐵道は、もともと「松下車両」の「車両実験線」として作られた…という側面が強く、この電車も「手本」として輸入した、ドイツ製の通勤電車のスタイルを色濃く残していて、同時期に登場した他社の電車と比べて「明らか」に違うその姿に、当時の沿線住民は、この頃「親会社」だった「松下」のニックネームにちなみ「ナショナルさんのハイカラ電車」と呼んで親しんだそうです。  メーカーの視点から見た解説文

    戦後も暫くは「河内線」等で活躍し、1977年に引退。
    現在、八雲駅付近に「110型とともに静態保存」されています。
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  • 110型
  • 100型
    (旧)關西電気鐵道増備用。100型を「国産部品」に一部変更したもの。
    戦後、新生「関西電鉄」のマークをつけた姿です。
    100型(登場時)
    (旧)關西電気鐵道時代の姿です。
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    〜解説〜
    110型電車は、關西電気鐵道(今の本線北部)増備用に作られた、松下車両(これは架空)100型を「一部国産部品を使用して製造」された形式です。

    100型は、「海外部品を流用」したための「製造コスト高くついた」ことから、「松下車両の製造能力向上」を目指して「国産部品」を多用した電車ですが、「電装品」は100型と同じものを使用しています。

    戦後も暫くは「河内線」等で活躍し、1979年に引退。

    現在、八雲駅付近に「100型とともに静態保存」されています。

    また、同系の124型が、「界磁チョッパ試験車」として改造され、後継形式の登場に「大きな役割」を果たしました。
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  • 200型
  • 200型Mc
    希少な「松下車両」製の電車。枚方延伸用。 これはMcの200型。
    250型Tc
    これはTcの250型
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    〜解説〜
    200型電車は、守口松下(いまの八雲)〜枚方間延伸開業用に松下車両(これは架空)で1935年に作られた19メートル級の大型電車です。

    当時、松下車両の「実験線」を兼ねていた“北本線”に、「鉄道省」(のちの国鉄)向けの新型車両のプロトタイプとして投入された形式です。

    特徴はドア部分にあって、「親子ドア」形状になっていて、閑散時間帯には「親ドア」(大きなドア)のみを、またラッシュ時間帯には「子ドア」(小さなドア)も一緒に開く事で、乗降をスムースにする工夫を施した、当時としては、先進の工夫が採用されていました。

    しかし、その“凝った”構造のため、戦後の車体修繕時に「小ドア」部分が埋められてしまいました。また、一部の車両は「両開きドア」の試験車に選ばれ、オーソドックスな両開きドアに改造されました。

    晩年は河内線に投入され、1979年に引退しました。
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    300型
    戦前の“メーカー規格型”車両。高槻延伸用。
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    〜解説〜
    300型電車は、枚方〜高槻間延伸用に松下車両(これは架空)で1939年から製造された、19m級の大型電車です。

    200型と同じく19m級ですが、「鉄道省」(のちの国鉄)向けに「2両編成」で作った200型では「大きすぎた」ため、単行で運転できる「両運転台」を採用しました。
    また、「四条畷線」(現在の学研本線)用の1200系とは、「軌間」や「車体長」以外はほとんど「共通」で、このへんはさすが「メーカー規格型車両」と言うべき感じです。
    メーカーの視点から見た解説文

    戦後、大半が4000型に車体更新されました。
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    (旧)和泉急行電鉄車両



  • 220型(旧和泉急行電鉄モ100系)
  • 220型
    (旧)和泉急行電鉄開業用。地域輸送用3ドア車。
    関西電鉄編入後の姿です。
    220型(和急電時代)
    これは和泉急行電鉄時代の姿。明るめのマルーン1色塗りです。
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    〜解説〜
    220型電車は、和泉急行電鉄(今の本線南部)開業用に作られた、
    地域輸送用の3ドアの車両です。

    車内はロングシートで、主に普通用として活躍していました。
    20両も「量産」された為に、戦後の「関電」成立後暫くは南部路線のどこでも見れる形式だったのですが、本線地下線開業後、A‐A基準不適合のためほとんどが「河内線」に転属しました。

    そして、1974年から1977年までに4000型に「台車」「主用機器」を譲って引退しました。
    主要諸元
    単行・1C4M抵抗制御・自動空気(SMEs)ブレーキ
    編成図
    登場時 ←新世界 Mc+Tc 水間観音(水間)→
    晩年 ←新世界・新日鐵前 Mc+Tc 関西佐野(泉佐野)・千早・蔀屋→
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  • 320型(旧和泉急行電鉄モ500系)
  • 320型
    「和歌山」に行けなかった、悲運の急行用。 これはMcの320型。
    370型Tc
    これはTcの370型
    関西電鉄編入後の姿です。
    320型(和急電時代)
    これは和泉急行電鉄時代の姿です。(絵はモ500)
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    〜解説〜
    320型電車は、日本車両(日車)で1935年に和急電100(→220型)と同時に製造された、18メートル級急行用電車です。

    堂々としたスタイルは、「親会社」であった「参急2200系」を狭軌化したようなデザインで、同じ頃に登場したライバル(新京阪デイ100・阪和モヨ100)などと比べて、ひけを取らない性能を持った本格的長距離用転換クロスシート車です。
    和泉急行電鉄は、和歌山の「海南」まで路線を延伸する「野望」を持っており、この電車は、本来は「新世界〜海南 急行」のヘッドマークをつけ、華々しく活躍する…予定でした。
    モーター出力も高く、「犬鳴峠」を越える性能も備えていましたが、実際の「開業区間」は「水間観音」(いまの水間)まで。
    本来の「性能」を活かしきることが出来ませんでした。

    戦後、やっと急行運用につけましたが、区間はなんと、
    もと南海の「堺〜千早(いまの千早赤阪)」間。
    「犬鳴峠」用の高出力は、「金剛山」行きで活かされることになりました。
    そして、「金岡公園(いまの金岡)駅大改造」が完成した1966年に、
    「新世界発着」へと「戻って」きました。
    そして5000系が登場しても急行からはずされず、高架駅の「新世界」発着の「葛城線・金剛急行」として、活躍しました。

    その後、河内線に転属することなく、葛城線・千早ローカルで余生を送り、1979年に引退しました。
    主要諸元
    2連・1C4M抵抗制御・自動空気(SMEs)ブレーキ(発電ブレーキ併用)
    編成図
    登場時 ←新世界 Mc+Tc 水間観音(水間)→
    晩年 ←新世界・新日鐵前 Mc+Tc 関西佐野(泉佐野)・千早→
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    (現)関西電鉄車両



  • 500型
  • 500型
    “新生”関電の「ロクサン」。 これはMcの500型
    550型
    これはTcの550型
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    〜解説〜
    500型電車は、1948(昭和23)年に導入された、もと「鉄道省63形」で、関西電鉄初の20m級車両です。

    電動車(モハ→500型)と制御車(クハ→550型)がそれぞれ5両づつ「割り当て」られ、替わりに(旧)河内金剛鉄道の「小型車」が「地方私鉄」へと「旅立って」いきました。

    「戦時設計」のため、「車体」が弱く、1953年には、早くも「車体更新」を受けて「見違える様」になりました。
    500型(更新後)
    500型(車体更新後)
    550型(更新後)
    550型(車体更新後)
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    しかし、「更新車」でも「前面非貫通」のため、1961(昭和36)年に完成した、「本線地下区間」には入線できず、活躍の場を「葛城線」に移して、「本線運用」から撤退。
    1973年に4000型(1974年登場形式)に「台車」「主用機器」を譲るために引退しました。
    主要諸元
    2連・1C4M抵抗制御・自動空気(SMEs)ブレーキ
    編成図
    登場時 ←高槻・新世界 Mc+Tc 上町南(今は廃止<神法院町からは離れている>)・関西佐野(泉佐野)→
    晩年 ←新世界・新日鐵前 Mc+Tc 関西佐野(泉佐野)・千早・蔀屋→
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  • 510型
  • 510型
    戦後初の「新車」 これはMcの510型。
    560型
    これはTcの560型
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    〜解説〜
    510型電車は、戦後初の完全新製電車で、1951(昭和26)年に登場しました。

    1953(昭和28)年の「水間」〜「関西佐野(現・泉佐野)」間の延進開業用として製造されたこの電車は、20m級の車体こそ「ロクサン」と同じ…ですが、当時、乗客数が少なかったことから「3ドア」となっており、「現在の本線系車両のドア数の基礎」を作った車両といえます。

    「全金属製」の車体をいかして、1961(昭和36)年に完成した、「本線地下区間」にも入線して、ながらく「本線」の「主力」として活躍。
    その後「河内線」に移り、1986(昭和61)年に引退しました。

    また、124同様、同系の526+576の編成が「VVVF試験車」として改造され、後継形式の登場に「大きな役割」を果たしました。
    主要諸元
    2連・1C4M抵抗制御・自動空気(SMEs)ブレーキ
    編成図
    登場時 ←新世界 Mc+Tc ・関西佐野(泉佐野)→
    晩年 ←高槻・新世界・新日鐵前 Mc+Tc 関西佐野(泉佐野)・千早・蔀屋→
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  • 600型
  • 600型登場時
    近車製カルダン試作編成。 これは登場時の姿です。
    600型現在
    運用末期の姿です。
    600型両運改造
    「犬鳴線」用両運改造車です。
    絵をクリックすると大きくなります。
    〜解説〜
    600型電車は、1957(昭和32年)に近畿車輛で製造された、関西電鉄初の高性能車両です。

    両運転台車、もしくはMc+Tcの編成で1C4M制御、シュリーレン式軽量車体を採用したこの電車は、本線の高性能車導入のさきがけとして試作した意味合いが強く、数々の新技術を導入して「今日」の車両の基礎を作った電車です。

    ごく少数量産(2連組・両運車 各10編成づつ、計30両)されたのみで、その後は700型が量産されました。
    ちなみに610型は、最後の新製両運転台車です。

    特に台車は関西電鉄「唯一」のシュリーレン式であるKD21を採用しましたが、保守点検が大変だったらしく、その後の車両には採用されませんでした。

    その後、異端児がゆえに、後継車両が増備されるにしたがって、支線運用にも使いやすいように両運転台車が更新され、片運転台車も改造、両運転台車改造が進められたのですが、河内線には600型のみの編成が1本のみ残されていました。

    晩年は増結・支線区用として活躍し、最晩年は「河内線ラッシュ時運用」として活躍しました。

    誕生50年2007年6月「さよなら運転」として本線高槻〜東浅香山(この間、普段営業運転をしない《本線河内連絡線》を走行した)〜河内線金岡団地〜蔀屋を走行し、全車引退(足回りは3300型に転用)しました。
    主要諸元
    1〜6連・1C4M抵抗制御・電磁直通(HSC)ブレーキ
    編成図
    登場時 ←高槻 Mc_Tc 関西佐野(現・泉佐野)→
    晩年 ←新日鐵前 Mc_Tc_cMc_Mc_Tc 蔀屋→
    ←(包近)・熊取 cMc' 大体大・犬鳴温泉→(この運用は2006年に5100型「シェルパカー」に置き換えられ消滅)
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    4000型登場時
    戦前製電車の車体更新車。 これは登場時の姿です。
    4000型現在
    運用末期の姿です。
    絵をクリックすると大きくなります。
    〜解説〜
    4000型電車は、旧社型の100〜320型および6000型(初代)の走り装置を流用した電車で、1974(昭和49年)に登場しました。

    小型車体の多かった、河内・犬鳴線系統の体質改善を目的として、なおかつ低コストで大量に造備するために、当時主力だった、800型のボディに、旧型の走り装置等を流用。
    車内はロングシートを採用したため、登場時は、特に葛城線の乗客には、評判が悪かったそうです。

    晩年は釣り掛けのまま冷改されて「河内線」で活躍しましたが、
    車体”だけ”新しいので、他形式への編入が進み、「4000型」としての運用は、2006年4月で終了。

    関西電鉄から「吊り掛けサウンド」消えてしまいました……。
    主要諸元
    2〜6連・1C4M抵抗制御・自動空気(SMEs)ブレーキ
    編成図(代表的なもの)
    本線・葛城線 ←高槻・新世界 M'c_T_M'c 関西佐野(現・泉佐野)・千早赤阪→
    河内線 ←新日鐵前 M'c_T_M'c_T_M'c 蔀屋→
    犬鳴線 (包近)・熊取 M'c(_Tc/510型) 大体大・犬鳴温泉
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    現用車両(本線用)特急用車両へ続く…




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