軽便気動車の“生き残り”。改軌・T車化。 関西電鉄編入後の姿です。 これは犬鳴電鉄時代の姿。濃紺1色。 絵をクリックすると大きくなります。 |
〜解説〜 |
…解説文作成中…すみませんm_m |
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川崎造船製。正面5枚窓。 関西電鉄編入後の姿です。 これは北河内電鉄時代の姿。茶色とクリームのツートーン。 絵をクリックすると大きくなります。 |
〜解説〜 |
8010型電車は、1933年に作られた、北河内電鉄(もと河内線の蔀屋〜八尾間)が開業時に導入した電車で、川崎造船(川重)製の13m級の小型電車です。 前期型12両が「北河内電鉄」開業用に作られ、後期型4両が1935〜36年に「關西電気鐵道・四条畷線」が蔀屋へ延伸したときに増発用として、計16両作られました。 もともと単車で運転することを想定していた為、(ちなみに、この形式は中央運転台)前期型は総括制御に対応していませんでしたが、30(8030)型が増備されたときに総括制御が出来るように改造されました。 後期型は、見た目は前期型と同様でしたが、登場時から総括制御が出来る仕様だったため、登場時の形式は「20型」でした。 (関西電鉄組込み時の改番で、10型と一緒に8010型を名乗ることになった) 昭和30年代に初期型5両が8100型に車体更新され、残りの11両が8010型として関西電鉄の車両となりました。 関西電鉄編入後も「河内線」で活躍していましたが、1965年の昇圧によって活躍の場を失ってしまい全車「地方私鉄」へと旅立って行きました。 |
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川崎造船製貫通車。 関西電鉄編入後の姿です。 これは北河内電鉄時代の姿です。 絵をクリックすると大きくなります。 |
〜解説〜 |
8030型電車は、北河内電鉄初の、連結運転が考慮された電車です。 10(8010)型と同様、川崎造船製ですが、15m級となり、前面貫通路がついたほか リベットの数も少なくなり、すこし近代的になりました。 関西電鉄編入後もほとんどの車両が「河内線」から他線へ転出することなく、(1965年の昇圧時には、一部が「犬鳴線」に転属、あとはT車化改造(8080型)された。)1972年に引退しました。 |
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北河内電「最後」の“車体更新”車。日車標準ボディ。 関西電鉄編入後の姿です。 これは北河内電鉄時代の姿です。 絵をクリックすると大きくなります。 |
〜解説〜 |
8100型電車は、戦中戦後の酷使で痛んでいた10(8010)型の改造名義で、1957年に登場した北河内電鉄「最後」の“車体更新車”です。 当時、地方私鉄向けの新製車体としてメジャーな存在だった「日車標準ボディ」に10(8010型)の電装機器及び台車を組み合わせたこの電車は、当初の予定では、10(8010)型の初期型12両中10両を更新する予定でした。 ところが、北河内電鉄の経営上の理由から5両のみの更新に留まり、残りの5両の更新改造用の資金の捻出の目処が立ちませんでした。 この事が関西電鉄との合併を決断する「大きな理由」のひとつになったことは、余り知られていません。 関西電鉄編入後も河内線に在籍しつづけていましたが、河内線が昇圧された1965年頃に何処かの地方私鉄へ譲渡された…らしいです。 |
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旧「河内金剛・松堺線」用、戦時輸送用。 絵をクリックすると大きくなります。 |
〜解説〜 |
E43x(xとは製造番号。例えば1号機はE431)型機関車は、1940年に登場した、(旧・河内金剛鉄道)松堺線用の「平坦線用」電気機関車です。 当時「平林」付近にあった「弾薬庫」から、武器・弾薬を「大正飛行場(いまの八尾空港)」まで輸送する為に急遽製造された形式で、上回りは「本線用大型電気機関車」のものをそのまま利用したため、本線用電気では珍しい「L字型」をしていて、この機関車の「最大の特徴」となっています。 戦中の「組成乱造」機関車のため、1955年頃には早くも「大堀車庫」の構内入換機となってしまいました。 多分、1970年くらいまで使われた「記憶」が残っているのですが、定かでは有りません… |