合併社型車両(案)
<<!注!関西電鉄は現実世界には実在しません>>

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(旧)犬鳴電鉄車両



7000型
昭和初期の“半鋼製”電車。改軌・電化時に新製。
関西電鉄編入後の姿です。
7000型(犬鳴電鉄時代)
これは犬鳴電鉄時代の姿。濃紺1色。
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〜解説〜
7000型電車は、「泉州軽便鉄道」が“改軌・電化”により、「犬鳴電鉄」と名を変えた、1926年に導入された電車です。

川崎造船製の初期鋼製車で窓が高く、鈍重なスタイルの「田舎電車」ですが、犬鳴線の全線昇圧時まで活躍していました。

小さな荷物室がついています。
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7100型
電化後、増発時に導入された「木造中古車」
関西電鉄編入後の姿(簡易鋼製化改造後)です。
7100型(犬鳴電鉄時代)
これは犬鳴電鉄時代の姿。濃紺1色。
絵をクリックすると大きくなります。
〜解説〜
7100型電車は、“改軌・電化”により「一時的な車両不足」を補う為、もと「南海鐵道電1形」を譲り受けた電車です。

譲渡時は木造電車でしたが、関西電鉄編入時に外側に鋼板を貼っていわゆる「ニセスチール」化されたものの、屋根のダブルルーフはそのままで、関西電鉄では珍しい「ダブルルーフ電車」としてマニアから注目されていました。

7000型同様、犬鳴線の全線昇圧時まで活躍していました。
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7500型
軽便気動車の“生き残り”。改軌・T車化。
関西電鉄編入後の姿です。
7500型(犬鳴電鉄時代)
これは犬鳴電鉄時代の姿。濃紺1色。
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〜解説〜
…解説文作成中…すみませんm_m
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(旧)北河内電鉄車両



  • 8010型(旧北河内電鉄10型)
  • 8010型
    川崎造船製。正面5枚窓。
    関西電鉄編入後の姿です。
    8010型(北河内電鉄時代)
    これは北河内電鉄時代の姿。茶色とクリームのツートーン。
    絵をクリックすると大きくなります。
    〜解説〜
    8010型電車は、1933年に作られた、北河内電鉄(もと河内線の蔀屋〜八尾間)が開業時に導入した電車で、川崎造船(川重)製の13m級の小型電車です。

    前期型12両が「北河内電鉄」開業用に作られ、後期型4両が1935〜36年に「關西電気鐵道・四条畷線」が蔀屋へ延伸したときに増発用として、計16両作られました。

    もともと単車で運転することを想定していた為、(ちなみに、この形式は中央運転台)前期型は総括制御に対応していませんでしたが、30(8030)型が増備されたときに総括制御が出来るように改造されました。

    後期型は、見た目は前期型と同様でしたが、登場時から総括制御が出来る仕様だったため、登場時の形式は「20型」でした。
    (関西電鉄組込み時の改番で、10型と一緒に8010型を名乗ることになった)
    昭和30年代に初期型5両が8100型に車体更新され、残りの11両が8010型として関西電鉄の車両となりました。

    関西電鉄編入後も「河内線」で活躍していましたが、1965年の昇圧によって活躍の場を失ってしまい全車「地方私鉄」へと旅立って行きました。
    地方私鉄に譲渡されたもと8010型
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  • 8030型(旧北河内電鉄30型)
  • 8030型
    川崎造船製貫通車。
    関西電鉄編入後の姿です。
    8030型(北河内電鉄時代)
    これは北河内電鉄時代の姿です。
    絵をクリックすると大きくなります。
    〜解説〜
    8030型電車は、北河内電鉄初の、連結運転が考慮された電車です。

    10(8010)型と同様、川崎造船製ですが、15m級となり、前面貫通路がついたほか リベットの数も少なくなり、すこし近代的になりました。

    関西電鉄編入後もほとんどの車両が「河内線」から他線へ転出することなく、(1965年の昇圧時には、一部が「犬鳴線」に転属、あとはT車化改造(8080型)された。)1972年に引退しました。
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  • 8100型(旧北河内電鉄100型)
  • 8100型
    北河内電「最後」の“車体更新”車。日車標準ボディ。
    関西電鉄編入後の姿です。
    8100型(北河内電鉄時代)
    これは北河内電鉄時代の姿です。
    絵をクリックすると大きくなります。
    〜解説〜
    8100型電車は、戦中戦後の酷使で痛んでいた10(8010)型の改造名義で、1957年に登場した北河内電鉄「最後」の“車体更新車”です。

    当時、地方私鉄向けの新製車体としてメジャーな存在だった「日車標準ボディ」に10(8010型)の電装機器及び台車を組み合わせたこの電車は、当初の予定では、10(8010)型の初期型12両中10両を更新する予定でした。
    ところが、北河内電鉄の経営上の理由から5両のみの更新に留まり、残りの5両の更新改造用の資金の捻出の目処が立ちませんでした。

    この事が関西電鉄との合併を決断する「大きな理由」のひとつになったことは、余り知られていません。

    関西電鉄編入後も河内線に在籍しつづけていましたが、河内線が昇圧された1965年頃に何処かの地方私鉄へ譲渡された…らしいです。
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    (旧)河内金剛鉄道車両(機関車)



  • E43型(旧河内金剛鉄道)
  • E43型
    旧「河内金剛・松堺線」用、戦時輸送用。
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    〜解説〜
    E43x(xとは製造番号。例えば1号機はE431)型機関車は、1940年に登場した、(旧・河内金剛鉄道)松堺線用の「平坦線用」電気機関車です。

    当時「平林」付近にあった「弾薬庫」から、武器・弾薬を「大正飛行場(いまの八尾空港)」まで輸送する為に急遽製造された形式で、上回りは「本線用大型電気機関車」のものをそのまま利用したため、本線用電気では珍しい「L字型」をしていて、この機関車の「最大の特徴」となっています。

    戦中の「組成乱造」機関車のため、1955年頃には早くも「大堀車庫」の構内入換機となってしまいました。

    多分、1970年くらいまで使われた「記憶」が残っているのですが、定かでは有りません…
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